石の物語



一個の石がある。
すこし端が欠けている。
そこにあるうちは、ただの路傍の石である。

載せれば、鎮になる。
打ち付ければ、鎚になる。
放れば、球になる。
放り合えば、遊具になる。
投げつければ、武器になる。
研げば、刃になる。
集めれば、資料になる。
飾れば、碑になる。
拝めば、神になる。

割ってみる。
内にはアンモナイトの化石が眠っている。
5億年という時間が立ち顕れる。
元に戻す。

一個の石がある。
それはただの石ではなくなっている。

(urikura)

青【あお】


もっとも美しい色は「青【あお】」だと思ふ。

私は記憶するかぎりで自らの意志で美を意識したのは3歳のころだった。
自分の足で近所を歩き回るようになって見つけたのが、オオイヌノフグリという青い草花だった。人には学んで得る美と、本能で感じる美がある。記憶するところオオイヌノフグリは絵本にも大人達の会話のなかでも登場していなかった為、本能であろうと思う。
それからずっと青は美しいと思い続けている。

大人になると目線がかわり、壮大なものに美や感動を求めがちになってしまう。
その際たるものに海や空がある。その美しさは世界共通であろう。
がしかし、宇宙は闇空間の中なので空が青く透き通っているのは不思議である。
ある意味では地球という部屋の天井が青く輝いているのだと思うと、
なんだか大きな大きなワンルームに住んでいる気がしてくる。

初めて地球を外から見た宇宙飛行士の言葉に「地球は青かった」とある。
ということは屋根も青いワンルームということか。

外も中も青いワンルームの住人だから、「青」が美しいと思うのかもしれない。

なんてことを考えながら海辺で時が過ぎていくのを忘れた週末だった。
(U3)




告別



副社長が所在なさげにデスクエリアを彷徨いている。ふと目が合う。ふるふると手を振る。どうやら手招きをしているらしい。

「ご用でしょうか」
「贈答曲の選曲をしてほしい」
「は?」

40年以上にわたって貢献され、代表を務め、退任される方へ贈る曲だそうだ。その方はご自分で「私を何らかのかたちで表現した、もしくは関係した曲を贈って欲しい」と要望されたという。退任記念講演まであと3日。それまでに決めてしまわなければならない。他に情報はないのだろうか。

「彼は野球が大好きなので、他の部署では野球チームの応援歌を贈るそうだ。同僚のA氏は彼との思い出の歌を、と言っていたな

なるほど、「趣味」「思い出」という要素はすでに使われている。余計に範囲が狭まった。私の音楽の趣味は一部に偏っており、万人受けするものは少ない。しかし恩を受けた方への贈り物ならばと引き受けた。さっそく自宅に戻り、音源をひっくり返す。いくつかの候補をあげ、絞り、また増やし、聴き返す。気がつけば夜が明けていた。次の日、候補曲を持参し、副社長に聴いていただく。1曲目はボツ。2曲目もダメ。3曲目は・・・。とうとう最後の曲になった。

「私はこの曲が一番好きなのですが、万人受けしないかと・・・」
「・・・これで良い」

選ばれたのはルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲のピアノソナタ第26番「告別」。Beethoven Sonata N° 26 'Les Adieux' Daniel Barenboim

ベートーヴェンのパトロンであり、良き友人、理解者でもあったルドルフ大公との別れに捧げられ、3つの楽章にて、それぞれ「別離」「不在」「再会」というストーリーが表現されている。このピアノソナタには、ベートーヴェン自身にも特別な想いがあったといわれ、自身が命名した ”Lebewohl"というドイツ語に、この「別れ」が決して「再会」を約束したものではないことを読みとることができる。この曲を出版したブライトコプフ・ウント・ヘルテル社が、軽率にもフランス語で“Les Adieux”と標題をつけたことに対して、「ドイツ語の ”lebewohl”(告別)は、フランス語の “les adieux”(告別)とは全く違うものである。前者は心から愛する人にだけ使う言葉であり、後者は集まった聴衆全体に対して述べる言葉だからである」と手紙で抗議したという逸話が残っている。

退任記念講演のパーティにて、40年という長い間貢献してくださったことに対しての感謝と惜別、そして再会を願う想いを託して、この曲をお贈りした。彼はすっと椅子から立ち上がり、我々に向かって深々と一礼した。(urikura)

色彩のボキャブラリー





「実はあの時、プレゼンテーションをこっそり録画していたんですよ」

色彩という形態を持たない、移りゆくものをどのように捉え、表現するのか。色彩に従事するものにとっては奥の深いテーマだ。古くはニュートンの「光学」や、それに異を唱えたゲーテの「色彩論」など、色彩に関する著作は数多あれど、「ローマ人は味と色彩を論じない」という格言にあるように、色彩を理解するのに決定的な方法は未だに存在しない。

私が色彩を伝えるために自身の語彙の貧困に直面したのはCMG(Color Marketing Group)のイタリア、ローマ会議に参加したときのことだった。CMGとは1962年に設立された国際的な非営利団体で、年一回、色彩に関わるプロフェッショナルを集めて国際会議を開催し、2年後に市場に流通するであろう色彩のトレンド予測を策定、発表している。つまり色彩の流行はつくり出されているという訳だ。公式 facebook に活動の一端が紹介されている。

https://www.facebook.com/www.colormarketing.org

会議ではグループ単位に分かれ、色彩を議論し、色彩の価値観や社会的背景と共に流行色の策定を行うのだが、私の拙い教養と英語力では意図をうまく説明できず、コミュニケーションに苦労した。色の表現方法はカラーチップで具体的な色サンプルを示すものがいるかと思えば、詩的表現によるアナロジーでイメージを喚起しようとするものまで各人さまざまで、楽しく議論したのを覚えている。そして会議も佳境にさしかかったころ、グループのメンバーとも打ち解け雑談していると、なぜか皆から最終プレゼンテーションの発表者に指名され、会議の参加者全員の前で発表を行うことになった。

プレゼンテーションで何を伝えたのか、いまではもう覚えていない。覚えているのは懇親会でドイツのある芸術学部の教授から「うちの大学で学生に色彩を教えて欲しい」と冗談を言われたことくらいか。その後、色彩に関する語彙の貧困を再認識した私は過去の資料を引っぱり出し、書籍を何冊か新たに購入した。

それから4年、ローマ会議で出会ったデザイナーと偶然再会した。当時若かった彼女は、国際会議での私の拙いプレゼンテーションをこっそり録画し、その後繰り返し観て勉強したのだという。そのように捉えられていたことを知り、背筋が伸びる思いがした。恥じ入る私を前に、彼女は微笑を絶やさなかった。


未だに私の色彩に関する語彙は拙い。そろそろもう一度、書籍を紐解く時期がきているのかもしれない。(urikura)

察する力

久しぶりに京都に訪れた。
今回は豆腐料理を頂きに足を運んだが、料理はもちろん庭など素晴らしいモノをたくさん目にした。そのなかでも今回は置き石についてお話ししたい。
とある通りの塀沿いに置かれた石は、おそらく駐車禁止を促すものだと思った。そこには「駐車お断り」の注意書きなどは書かれていない。京都では景観を意識して大手チェーン店の看板でも色彩や高さをアレンジされているというのは有名な話だ。色彩を調整して目立たなくするというのは手法としても手軽で効果も大きい。しかし、今回目にしたのは働きかける側と受け手が互いに「察する力」が必要となる方法だ。この淡い空気感に日本の美を感じた。
 自然が美しい環境を大事にする気配りはあっても、「ゴミを捨てるな」の看板が景観を損ねることまで気が及ばないケースをよく目にする。注意書きを見ても適切な行動をとれない人は残念ながら存在する。そこに必要な空気感をデザインすることで、人にあたえる影響力を齎すことができれば、美が共存できるのではないだろうか。(U3)

「誘拐犯」



ブラジル北東部の大都市で、赤道直下に位置するフォルタレザという街を訪れた。ブラジル国内では高級ホテルが並ぶ洗練されたビーチリゾートとして人気のある街だ。ホテルの部屋からは見事な海景色が望めるし、夜景も素晴らしい。日がな一日、ホテル付きのプールサイドで海を眺めやりながら読書でも、といきたいところだが、残念ながら目的は調査、つまり仕事である。

夜になるとインタビューに招待された人々が集まってくる。驚いたのは皆、ドレスアップしていること。場所が高級リゾートホテルであるためか、特に女性はお気に入りのワンピースを纏い、ボーイフレンドのエスコート付きでやってくる。そういう人たちと食事を摘みながら言葉を交わす夕べもまた悪くないものだ。

夜も更け、いつものように招いたひとのなかから数人にお宅訪問をお願いした。

次の日、お宅に向かおうとホテルのロビーで待っていると、担当者が浮かない顔をしてやってくる。どうしたのか尋ねると、訪問を突然キャンセルされたという。致し方なしということで、その日は別の行程をこなすことにした。

しかし3日目も同じように訪問をキャンセルされる。こんなこともあるのか、と不可思議に思う。

そしてその晩、声をかけたすべてのひとに訪問を断られる。さすがにおかしいとは感じるものの、確かめる術もない。

翌日、郊外のディーラーを訪れたところ、事態が発覚する。我々が自己紹介するなり店長が声を上げた。

「ああ、君たちか! ここらで調査をやっている連中というのは。いやね、君たちの噂が街中に広まっているんだよ。高級ホテルで食事を用意してくれたうえに、話を聞いてくれて、お金までくれるなんて、誘拐目的か何かに違いないってね!」

なるほど、我々は誘拐犯だと疑われ、警戒されてしまったわけだ。ブラジルは犯罪率が高く、人々も自衛手段を講じているが、誘拐は頻繁に起こる犯罪なのだそうだ。確かにブラジルの住宅には立派な門や塀で囲まれ、監視カメラや鉄条網などで厳重に保安されたものが多い。日本では思いもしない理由がそこには隠れていたのだ。

調査では異文化を理解するために、自身の常識や理解に捕われないよう意識するのだが、それが至っていない事に気付かされたエピソードだった。ともあれ、誘拐犯に間違われたのは人生で得た初めての経験だったな。(urikura)

祈り



美しいものを見た。

インド出張の最終日。ムガル帝国、第二代皇帝フマーユーンの墓廟を訪れたときのことだ。この美麗な建物は、周囲の広大な庭園と相まってインド・イスラム建築の精華のひとつとされ、後に建造されるタージ・マハルの原型となったといわれている。廟へとつづく庭園を歩けば、外の喧噪が嘘のようだ。

ただ、こういった場所は他の観光地の例に漏れず、米語、中国語、オランダ語、仏語などが飛び交い、Tシャツに短パン、サンダル、バックパックといった出立ちの観光客が目立つ。騒ぎ立て、直に触り、携帯電話に大声でまくしたてる。いつも思うのだが、仮にも一時代の皇帝の、しかもここは墓廟なのだ。もう少し訪れる者はこれら文化文明の担い手たる先人達に敬意を持って接しても良いのではないかと。もちろん、このようなことは私個人の妄想というべきもので、他者に強要するようなことではないけれども。

そんなことを思いながら建物内部に足を踏み入れると、精緻な透かし彫りが埋め込まれた窓を前にして、ひとり佇む女性がいる。透かし彫りのむこうに、まるで何かをみているように、微動だにせず、黙々と。その光景は美しい一枚の絵画のようでもある。その間、騒がしい観光客が入れ替わりやってくるが、まったく意に介さない。半時ほど経ったろうか、彼女はゆっくりと踵を返し、外へ出て行った。

一部始終をみていた私には、彼女こそ文化に対峙するのに相応しい所作を持っているように思えた。翻って心の中でとはいえ、他者に悪態をつきながらここまで来てしまった自分を恥じた。もしデザインが文化文明の一端を担うのだとすれば、少なくともその担い手としてふさわしい所作を身につけたいものだ。そう強く思った。(urikura)