祈り



美しいものを見た。

インド出張の最終日。ムガル帝国、第二代皇帝フマーユーンの墓廟を訪れたときのことだ。この美麗な建物は、周囲の広大な庭園と相まってインド・イスラム建築の精華のひとつとされ、後に建造されるタージ・マハルの原型となったといわれている。廟へとつづく庭園を歩けば、外の喧噪が嘘のようだ。

ただ、こういった場所は他の観光地の例に漏れず、米語、中国語、オランダ語、仏語などが飛び交い、Tシャツに短パン、サンダル、バックパックといった出立ちの観光客が目立つ。騒ぎ立て、直に触り、携帯電話に大声でまくしたてる。いつも思うのだが、仮にも一時代の皇帝の、しかもここは墓廟なのだ。もう少し訪れる者はこれら文化文明の担い手たる先人達に敬意を持って接しても良いのではないかと。もちろん、このようなことは私個人の妄想というべきもので、他者に強要するようなことではないけれども。

そんなことを思いながら建物内部に足を踏み入れると、精緻な透かし彫りが埋め込まれた窓を前にして、ひとり佇む女性がいる。透かし彫りのむこうに、まるで何かをみているように、微動だにせず、黙々と。その光景は美しい一枚の絵画のようでもある。その間、騒がしい観光客が入れ替わりやってくるが、まったく意に介さない。半時ほど経ったろうか、彼女はゆっくりと踵を返し、外へ出て行った。

一部始終をみていた私には、彼女こそ文化に対峙するのに相応しい所作を持っているように思えた。翻って心の中でとはいえ、他者に悪態をつきながらここまで来てしまった自分を恥じた。もしデザインが文化文明の一端を担うのだとすれば、少なくともその担い手としてふさわしい所作を身につけたいものだ。そう強く思った。(urikura)