F.S.エリス編『チョーサー著作集』1958年復刻版



ある美術館の展覧会に赴いた際のミュージアム・ショップでのこと。本書のなかの『薔薇物語』部分の一節、詩人が館の壁に施された「憎しみ」「邪悪」「粗暴」「悲しみ」「偽善」「貧困」などの像を眺めるシーン、その2ページ分を抜き取り、額装してある。ふと近づいた途端、背後から声をかけられた。

「これは『チョーサー著作集』を1958年に復刻したものです。ご興味がおありですか?」

いちいち解説をつけるのも憚られるほど、非常に名のある書物であるがゆえに、ここでは「国立国会図書館貴重書展」にある解題を借りることでそれに代えたい。

『本書はウィリアム・モリス(1834-96)が1891年にロンドン西郊のハマースミスに開設したケルムスコット・プレスの刊行書のひとつで、なかでも最高傑作といわれるものである。標題紙と飾り縁や装飾文字はモリスの考案によるもので、87点の挿し絵はエドワード・バーン=ジョーンズ(1833-98)が担当した。』

興味がない訳がない。グラフィック・デザインを志す者なら必ず知り置く書であるし、復刻版といえども愛書家の蒐集対象として名が通っているために高額で、私のような人間が触れる機会は美術館でガラス越しに眺める程度だ。思えば教授に見るべきものとして薦められ、最初に訪れたデザインを冠した展覧会はウィリアム・モリスの回顧展だった。当時はまだデザインを主題とした展覧会など、そう多くはなく、まして地方に住んでいれば、首都から遠く離れた辺境の美術館にそれらが巡回することなどさらに稀であったから。そこで見た本書の印象は今でも記憶に残っている。そういった意味ではデザインの原点に触れた最初の出来事が本書との出会いだった。いまでもこの回顧展の図録は大切に保管してある。

その後も女性店員との会話は弾む。

「これは原書をフォトグラヴュール(※)で複製したものです。レタープレスである原書の質を忠実に再現したような高額な復刻本ではありませんが、美術品としてはいわゆる古版画の部類に属します。」

それにしても、実にタイミング悪く声をかけられたものだ。数多いる観覧客のなかで、なぜ私に。これは神の思し召しか、悪魔の悪戯に違いない、などと心の中で悪態をつきつつ、薄い財布を取り出した。(urikura)


(※写真製版により図像を銅版の上に焼き付けて印刷する技法)