喜多俊之ワールド「イタリアのデザイン力 vs 日本のデザイン力」




◆日時 2011年11月15日 15時~

◆場所 DICビル17階会議室 東京都中央区日本橋3-7-20

◆主催 社団法人日本インテリアデザイナー協会(JID) 社団法人日本インダストリアルデザイナー協会(JIDA)

HP: http://www.jida.or.jp/site/information/shogai-20111102.html

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<イントロダクション>

JIDA理事 田中一雄

タイトルでは「イタリアのデザイン力 vs 日本のデザイン力」という刺激的なモノになっているが、

日本とイタリアからデザインの果たす役割を考えたい。

<JIDA理事長 浅香嵩 挨拶>

日本に本格的なデザインミュージアムを作りたいと考えている。

韓国や台湾、中国が台頭してきている中でデザインの動きが活発化している。

その中で日本のデザインはどうするかが問われている。

JIDAは来年60周年を迎える。JIDAとして積極的な活動に務めていきたい。

<喜多俊之氏の講演>

○日本の伝統技術と住環境

OZONで個展を開いた。高度成長時代は機械化が中心の時代であった。その時、500年1000年培った多くの日本の伝統技術が失われた。そのような伝統技術を未来に残していきたいという気持ちから、和紙や漆を使い茶室を提案した。

日本文化、伝統産業の消滅を食い止めなければならないという強い思いは今でもある。それを食い止めるには日本人の暮らしの衰退を止めなければならないと考えている。

暮らしのもととなる“住環境”の建て直しこそ重要である。インテリアもプロダクト製品も、“住環境”こそが原点になる。工業製品の土壌は暮らし(住環境)になる。この空間だからこの器。この空間だからこの製品というように。

住宅がサロンになるという意識がスタンダードになるが、物置のような状態になっている日本の住宅はまだ日本はそうなっていないと指摘していた。

○豊かな住環境を踏まえたテレビのデザイン

1999年にテレビをデザインした。漆の枠を使ったテレビを1000台作りロンドンで展示して高い評価を得た。

安価なテレビも手がけたが、ローコストになっても手を抜かない。プラスチックだけれど陶器のような仕上がりになったと自負している。

ライフスタイルを普及させたいという思いがある。日本に素敵なライフスタイルが戻って来て欲しいという願いが込められている。

10年間テレビのデザインを行ったが戦いだった。

○デザイン

アートとデザインの差は、アートは作家の満足度によるが、デザインは使ってもらう事が重要。

だから必ずデザインの決定の場では社長が出席するべきである。イタリアでは必ず社長が出てくる。

 デザイナーは、プロフェッショナルであるべき。そのためにはデザイナー自身がライフスタイルを持つ事が重要。

 今は、日本のデザインが軽く見られている。

<サンチェイロ フランチェスコ氏の紹介>

 1967年生まれで南イタリア出身。 南イタリアからデザイナーになるのは大変難しい。

5歳の時、マセラティボーラを見てデザイナーになると決心した。

イタルデザインを皮切りにピアジオでも従事した。トヨタや日産もで働いた。

現在は、横浜で株式会社ネプチューンデザインの代表取締役

<喜多俊之氏とサンチェイロ フランチェスコ氏の対談 パネリスト田中一雄>

○暮らしがデザインにどのように関わっているか。

イタリアと日本の暮らしの違いが大きい。イタリアではデザイン学校は意外と少ない。スタジオがデザインの寺小屋的になっているかなと思っていたが、暮らしの中でデザインを家族を通して学んでいた。人への思いやりとかセンスを身につけている。

親が“この色に合う色は何?”という風に子供とコミュニケーションをとり自然と色の調和を教えている。つまり家庭でデザイン教育をしている。ホスピタリティもとても重要である。室内を片付け見せるインテリアに心掛けている。

韓国の住環境が非常によくなっているところに注目したい。

○日本の課題

極めていくという日本の思想が壊れていっている。多くのイタリアデザインオフィスに外国人がいるが、日本のデザインオフィスはまだ閉鎖的で鎖国時代のよう。

日本の家は物置になっているのが実情。消費社会により安っぽい物が多くなっている。古いものを大切に使うリフォーム産業の活性化も一つの手段。日本の住居(間取り)は画一的でバラエティが無いのがイタリアと大きく違う。

日本の住居は京都や鎌倉などごく一部にしか古い物が残されている。捨ててはいけない物をすてて、捨てるべきものを残している。

 イタリアでも中国でもインテリア雑誌がキヨスクで売っている。 日本だけは売っていない。これはなんとかしなければならない。

何で日本の物作りを支えていくのかよく考え、クオリティのある暮らしを手に入れる必要がある。

○アイデンティティ

 日本の企業は我慢が足りない。 そのためブランドアイデンティティを保つ事が難しい。頻繁なモデルチェンジ、バーゲン、シールをベタベタ貼られたPOP。

経済とデザインをつないでいく必要がある。シンガポールや中国の役人はファッションセンスが良い。日本の行政もセンスがよくなって欲しい。

○踏み切れない日本

日本は色々な意味で踏み切れない。iPhoneは技術的なものは何も新しく無い。日本には心配しすぎで大きな決定が出来ない。

会社が個人資本かそうでは無いか、という差もある。オーナー企業の多いイタリアはトップがしっかりと責任を負うことができるのでフットワークが軽い。

マーケットに引っ張られる傾向が日本にある。

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<感想>

懇親会ではサンチェイロ フランチェスコ氏と会話した。小柄で気の優しい典型的なイタリア人だった。

暮らしという切り口からデザインを語ることに新鮮さを覚えた。確かに、この“暮らし”には日本とイタリアでは大きな差がある。日常の暮らしから“センス”を学ぶイタリアに改めて感銘を受けた。

デザイナーはプロフェッショナルであるべきとのことだったが、判断する側もセンスを持っていることがイタリアの大ききな特徴でありアドバンテージとなっている。日本の設計者から、「色のことはよく分からない」と言うばかりではなく、その重要性すら理解していない場合が多い。そのため必要な投資も怠りデザインの陳腐化に歯止めがかからないケースがある。

守るべきものを守り、捨てるものを捨てる選択眼と割り切りが強いブランドアイデンティティを生むことを日本は学ばなくてはならないのと、デザイナーだけではなく企業のトップがそのセンスを持ち合わせないとレベルの高いデザインに到達できないと感じた。そのためにも、デザインを判断する場にトップの参加は必要不可欠と考える。

(tarokin)