夏期休暇を利用して東京国立博物館 平成館で開催されている“空海と密教美術展”を見に行ってきた。この猛暑の中、しかも人混みが厳しい都内に行くだけでうんざりするのだが、今回の展示は、国宝の仏像を一気に見ることができる貴重な機会として行かなければと責務に駆られて足を運んだ次第である。やはり、上野駅から国立博物館に行く間に体力を消耗してソフトクリームを食べなければならない事態に陥るほど、猛暑と人混みの威力は凄かった。
歴史ある東京国立博物館の中で企画展を催す平成館は新しい建物であるものの、やはり国立新美術館など最近の美術館と比較すると古さが否めない。むしろ昭和初期に建てられた本館の方が趣があってよい。入場して改めて驚いたのは、若い人たちが多いということである。最近は仏像ブームで“仏像女子”なんていう言葉もあるくらいと聞いていたが、女子だけではなく若い男子も多い。なんでも“阿修羅立像”などは“イケメン仏像”と呼ばれて人気を博しているらしい。私もクライアントのベトナム人から“ブッタ”とあだ名を付けられるほど“仏像フェイス”を持った仏像男子だがイケメンではないのが残念である。ブームに乗れているようで、乗れていないほど悲しいものはない。
そんな熱気ある博物館内をゆっくりと鑑賞することとした。最初は“第一章 空海-日本密教の祖”である。
まず、そもそもなぜ“密教”?という根本的な問題にぶち当たった。単なる“仏教”ではないの?という素朴な疑問である。なにも影でコソコソと活動しているような印象の“密教”という言葉を使う必要がないじゃない?ということである。これに関する回答は博物館内では何処にも明かされていない。つまり、みんなが知っている基礎知識と言うことだろう。周りにいる仏教女子も知っているのだろうか?
少し焦りiPhoneを取り出し検索してみた。世の中便利である。馬鹿でもネットを通じて多少の知識をその場で得ることができるのだから。検索結果によると“一般の大乗仏教が民衆に向かい広く教義を言葉や文字で説くに対し、密教は極めて神秘主義的・象徴主義的な教義を教団内部の師資相承によって伝持する点に特徴がある。”とのことだ。なるほど。空海さんは、中国に渡って秘伝の教義を会得して日本で偉くなろうという戦略家だ。その悪巧みの数々を展示していると理解した。
展示では、教典や肖像画、絵巻など見応えのあるものが陳列されていて圧巻である。特に行書で書かれた書物は素人の私でもその力強い筆に感動を覚えた。また、行書だけに漢字一つ一つが分かるのが嬉しい。10世紀以上前の書物の字が一部でも理解できるというのは何か感慨深い。しかし、強者はいるもので、横にいた年配の男性が若い女性(おそらく仏像女子)に翻訳して解説していた。漢文を読めることが女子にアピールできる時代になるとは驚きである。漢文の授業で睡眠をとっていた私は、この博物館では弱者である。
“第二章 入唐求法(にっとうぐほう)-密教受法と唐文化の吸収”では、法具を中心に展示されていた。この法具は鋭いツメをもった武器のような法具で、“密教”のニオイが最もプンプンしている展示物だ。“密教は極めて神秘主義的・象徴主義的な教義”を体現する極めて重要なものだったことが、そのは尋常ではない狂気を感じる細密なデザインからも感じることができる。そして、密教とはやはり危険な香りがするものである。おそらく空海の弟子になった人たちはこの法具を見てビビったに違いない。ちょいワルオヤジの空海さんにはお似合いのアクセサリーだ。
“第三章 密教胎動-神護寺・高野山・東寺”では巨大な現存最古の曼荼羅が印象的だった。大日如来を中心に仏を規則的に配置される“金剛界”と、人々の心の中にある(胎蔵される)「さとり」を開く種を育てていく様子を表した“胎蔵界”という2つの世界観に別れているらしい。前者が格子状のレイアウトに対して、後者が中心から輪を形成するような構成になっている。また、“金剛”という意味はダイヤモンドらしい。大日如来の知恵が壊れることのない強固なものである象徴としてのダイヤモンドを図案化したのが“金剛界”だ。なるほど、この見るお経と呼ばれる曼荼羅には“密教”を流布する重要な役割を担っているのが分かる。
“第四章 法灯-受け継がれる空海の息吹”では、かなり疲れてきて良く覚えていない。普段からジョギングとかで体力作りに心掛けているが、人混みというのは本当に大変である。全てのエネルギーが消耗され、疲労感が全身を支配する。“この夏、マンダラのパワーを浴びる”というのがこの企画展のキャッチコピーであるが、パワーを消失するだけだった。不思議なのは、こういう混雑した中で年配の女性は本当にエネルギッシュである。マンダラのパワーは年配の女性に集中しているようだ。ともかく、体力に限界を感じた私は見て感じることに集中して解説類は飛ばした。そもそも、こういうものは意味を理解してウンチクを語るよりも感じることが重要である。密教だけに。
最後は、数々の仏像が曼荼羅のように展示されている大きな会場だ。ここで不思議な感覚を持ったのは、お寺では正面から見ることができない仏像が360度見渡すことができることである。特に後方から仏像を見ることはあまり無いだろう。そのため、今までは仏像が立体物にも関わらず何か平面的な感覚があったが、今回の展示は立体物を立体物として展示してあることに重要な意味を感じた。
この企画展は9月25日まで開催されている。興味があれば是非足を運んでもらいたい。(tarokin)