ジャカルタでの結婚式





先日、ジャカルタへ出張したおり、結婚式披露宴に招待していただいた。
インドネシアは多民族多宗教国家なので、地域によってそのスタイルは様々あるらしいけれども、招待いただいたご家庭はインドネシアでは多数派のイスラム教を信奉されているらしく、それに則った形式で行われている。結婚式に相当する契約の儀はイスラム法に長じた長老や学者、新郎新婦、親族、証人などが立ち会った上で執り行われるはずなので、それ以外の人間が招待されるのはいわゆる披露宴にあたるものだ。

披露宴は新郎の自宅で一日、長い場合には三日間ほど行われ、訪問客が三々五々集まってくる。特に招待客という区分があるわけではなく、通りがかりに誰でも参加できるらしい。その間、新郎新婦は訪問客の挨拶を受けながら、自らが結婚したことを地域の住民に披露するのだ。会場では歌や踊りなどの見世物が行われ、食事や菓子が振る舞われる。

しかしながら会場の色彩の美しさには驚いた。紫を基調としたサテンと生花で彩られ、親族の男性は皆、紺を基調としたインドネシアの伝統柄であるバティック(蝋纈染)のシャツを、女性は飾り付けと同じ紫のドレスを着用している。受付では新婦のご姉妹が愛らしい微笑みで迎えてくれた。ほとんどの場合、会場の色彩や設えは新郎新婦が決めるのだという。

インドネシアでは一般に紫は「未亡人の色」として忌み嫌われる。しかしこの新郎新婦はそれを逆手にとって自らの披露宴を演出したのだとか。なかなか高度な色彩感覚である。

一般に色彩はある意味合いを内包することが多く、その文化ごとにある種の禁忌を持っていることが多い。我々はそれらを利用し、色によってデザインの意味づけを行うのだが、インドネシアでは色彩があまり意味を持たない、もしくはその縛りが軽いということに気づく。彼らにとってはむしろ文様のほうが大切で、バティックにしても各地域によってその文様が異なり、自身の出身地以外の文様は着用しないのだという。だから工業製品においてもやたらとグラフィックにはうるさいが、色彩にはあまり拘らない、もしくは保守的な傾向を示すことが多い。

モダンデザインの洗礼を受けている私からすれば、当初、この傾向が不可解でならなかった。なぜそんなに複雑なグラフィックを好むのか。もっとシンプルに色彩でコミュニケーションできるはずだと。しかし今にして思う。彼らは色彩に対して自由なのだ。あらゆる色彩を等価に扱う感性を持っているのだと。そして文様の世界も奥が深い。その歴史、様式、意味は無数に存在する。それらを使いこなすのは深い知識と高度なバランス感覚が要求され、とても容易なことではない。

自らが狭い世界にいることを再認識させられる。インドネシアとは私にとって同じアジア感覚を共有する近しい文化でありながら、未知の感覚をも秘める遠い国なのだ。(urikura)