ユニフォーム




あることを契機に、久しく不義理をはたらいてしまった高校時代の恩師と言葉を交わした。先生は「積もる話がある」と切り出し、次のようなエピソードを語ってくれた。

そのころの私は高校を卒業し、ある大学の芸術学部に入学、デザインで立志すべく勉学の日々を送っていた。その間、恩返しのつもりもあって、先生が顧問を務め、自身も所属していた部活動のユニフォームとビジュアル・アイデンティティのデザイン案をつくり、持ち込んだことがある。ただ残念ながらその当時、先生は母校から他校へと転任となったばかり、その他諸々の事情もあってそのデザイン案は実現せず、その後、私も忘れてしまった。

十年後、偶然にも先生は再度母校へ戻られ、転任前と同じく部活動の顧問を務められた。そのようなある日、ひとりの部員が部室の押し入れの奥から「すごいものを見つけた」と興奮しながら先生のところへやってくる。よくみると学生が手にしていたパネルには見覚えのあるデザイン画が載っている。それを見た先生は突然「これを部の正式なユニフォームにする」と宣言、そのとおりに作成してくれたのだという。

仕上がったユニフォームを部員達も気に入ってくれたようで、意気揚々と身にまとい、練習に励む日がつづく。しばらくすると不思議なことが起こった。

地域住民の間でそれらが評判になり、地域イベントへの参加依頼が増えるようになった。さらに「あのユニフォームを着たい」と学生が入学、入部してくるようになり、部員が急に増えた。そして、ついには部活動の質が上がっていき、全国大会出場の常連校にまでなったのだという。


いまだに母校ではそのデザインが「憧れのユニフォーム」として使われているそうだ。今思えば稚拙なデザインだったと思うのだが、それらがアノニマス・デザインの理想を体現していたという事実を、先生のお話から思いがけず知ったのだった。「勝手にデザインを借用して申し訳ない」と先生は言われる。恩師の限りない慈しみに思わず頭を垂れた。(urikura)

医療と3D技術

今朝、手術を受けた。昔、左奥歯を虫歯で治療したはずだったが、完治せず歯根に残った虫歯が悪化し、歯根先端に病巣(膿のかたまり)が出来てしまった。それが原因となり、上あごまで炎症をおこし、あごの骨を浸食し穴が空いてしまった。そのため、歯根を切除して病巣を取り出し、穴の空いた部分をパテ埋めする手術をする事になったわけだ。

手術をする前に、“歯科用3次元X線断層撮影”なるものを受けた。いわゆる3Dスキャンである。この3D画像を使って、先生から手術の内容を丁寧に説明を受けた。その画像から、上あごに穴が貫通しているのが鮮明分かるだけではなく、その部分を断層化して内部からも詳しく状況を把握することが出来た。穴は2カ所あり、もう1カ所は内側に貫通している。その穴には膿が溜まっていているらしく、それをきれいに掃除をしてパテ埋めする作業となった。

この3D画像による説明はとても分かりやすく、自分の骨に穴が空いていることにとても感動した。お陰で、ヤスリやドリルでグリグリと骨を削っている作業中も、自分の頭の中で治療の経過をイメージできた。それは、治療に対する安心感につながるといえる。

このように、今や医療の世界で3D技術は欠かせない。昨年のグッドデザイン賞で金賞を受賞した“医療用3D臓器シミュレーター”は記憶に新しい。

最近では医療現場だけではなく、家電量販店でも3Dプリンターや3Dスキャナーが売られ、家庭でも使われる時代になった。

3D技術は、そもそも医療を目的に開発されたのではなく、工業製品のラピッドプロトタイピング( 迅速=rapid 試作=prototyping)を目的として開発され30年以上の歴史がある。我々にとっては、米国駐在中の1999年に3Dスキャナーをデザインプロセスに使った時が最初の経験だった。とはいっても、スキャンする業者に来てもらってクレーモデルをCADデータ化したので、3D技術を目撃しただけだったが。



今日、3Dプロセスはデザインの現場では日常になり、その技術が医療の世界にも応用され、こうして私の治療にも使われた事は感慨深い。

(tarokin)

右上の3D画像に穴が二つあるのが確認できる

サクラ散る




サクラ散る


この言葉を聞くとあまり嬉しくない人がいるかもしれません。

でも私はこの光景が好きです。
大昔は山から神様がおりて来て、稲作のはじまりを告げる為に
サクラにちょっと泊っていったそうです。
その旅立ちにサクラ吹雪の演出をして去っていく。
まるで演歌歌手のようですね。

それにしても神様はずいぶんと派手な色をチョイスされました。

薄ピンク色。
私はこういう色にはなかなか手をだせません。
少し勇気がいるというか、こっぱずかしいんです。
でも、このサクラを見ていると少しも違和感が無いんです。
周りにある色達は
空色の背景
焦げ茶色の幹や大地
新緑の青葉
そこに薄ピンク色、なかなかできる技ではありません。

爽やかに咲いて散っていく、そんな光景を見ていると

少し色彩の勇気をもらった気がします。
薄ピンク色、使ってみると何かの神様が寄ってくるかもしれませんね。

(U3)

Rollei 35 S



縁あって“Rollei 35 S”というカメラを手に入れた。

この片手に収まる小さなカメラは、1966年に発売された“Rollei 35”の後継機種で1974年に発売された。基本設計からおおよそ50年が経過していることから、工業製品としては骨董品と言って過言ではない。

この時代、オリンパス・ペンに代表されるように小型カメラは35mmフィルムを半分で使う“ハーフサイズ”が主流だったが、それら人気の日本製カメラよりもさらに小型化を実現しつつ“フルサイズ”を採用している。さらにレンズはカール・ツァイス製という贅沢な仕様で小型カメラながら当時は高級品であった。

じっくりと小さく四角いボディを眺めることにしよう。レンズ左右に大きなダイヤルが配置されており、レンズを加えた三つの円とそれに刻印された数字はスポーツカーのコックピットに配置された三連メーターのような印象で、とてもスポーティな印象である。ボディ底部は、フィルム巻き上げレバーと、ストロボをジョイントするホットシュー、三脚を取り付ける穴、ボディー蓋を閉めるロック機構、フィルムカウンターなどが所狭しと凝縮されている。小さいカメラながら男臭さを感じるのは、このような凝縮されたメカニカルな機構類と味気ない立方体の造形からだろう。

底部は様々な機構が凝縮されている


写真を撮るのも一苦労である。デジタルカメラのように、撮ってその場で見ることが出来るわけではない。

まず、電池が手に入らない。このカメラは、基本的に機械式ではあるが、唯一露出計だけは電池で動く。露出計を使わないと割り切って写真を撮る事もできるが、やはり露出が分からないと不便である。そのため、アダプターを手に入れて現在市販されている電池を組み込むことになる。
さらに、フィルムを手に入れるのが面倒になっている。昨今、コンビニやスーパーでフィルムは売っていない。ネットで購入するか、わざわざカメラ専門店に行って手に入れる必要がある。

いざ、写真を撮るとなっても簡単には行かない。このカメラはオートフォーカスどころか、距離計も無い。写真を撮るときは、被写体との距離を目測で見当付けてレンズのメモリを合わせる。「だいたい2メートルくらいかな」となれば、レンズのメモリを2メートルに合わせるわけだ。
目測なので、被写界深度を浅くして撮るとピントが外れることが多くなる。このようなカメラでは、被写界深度を深くして撮る方が安心である。実際、絞りを絞ってパンフォーカス気味で撮影する人が多いようだ。

露出計は搭載されているものの自動ではないから、シャッタースピードと絞りのダイヤルを回して露出を合わせる作業が求められる。カメラ上面に露出計があり、2本の針を重ねることで適正な露出を得られるしくみとなっている。ファインダーを覗きながら構図を決めて同時に絞りとシャッタースピードを調整して適正露出に合わせるという作業は出来ない。これは残念である。ちなみに、“Rollei 35 S”の後継機“Rollei 35 SE”の露出計は針からLEDとなりファインダー内に移された。

フィルムも12枚とか、24枚とか数が限られている。例えば、レストランに行って出てくる食事を一つ一つ撮影するという行為は、フィルムが勿体なくて出来ない。iPhoneで撮影するのとは大きく違う。勿論、SNSに即座にアップする芸当は出来ない。

救いは、今でも現像できることだろう。これは助かる。

このように、写真を撮るまでも大変だし、撮った後も現像やプリントを経て、やっと写真を鑑賞することができる。
ちゃんとした写真が撮れるかとても不安であったが、想像以上にしっかりと写真を撮ることが出来た。その場で見ることが出来ないだけに、写真がちゃんと仕上がったときの喜びは大きい。


昨今、「モノからコトへ」と物質的な価値よりも体験価値を重視する方向になっている。しかし、男子の物欲をそそる“Rollei 35 S”は、写真を観賞するまでにやる“コト”が満載で、まさに様々な体験を重ねることになる。わざわざ「モノからコトへ」なんてフレーズも必要無い素晴らしいカメラだ。
デジタルカメラでは、露出もフォーカスも自動で行われるどころか、その場で写真を観賞することはあたりまえになった。写真を撮る行為は“一瞬”であり、その体験的な価値は既に無くなった。だからこそ、写真を共有化したり、加工するという新たな体験価値を加える必要が出てきたし、それをアピールするようになった。

一方で、体験価値をアピールする弊害は無いだろうか。私が若いときは、格好の良い車を見れば、手に入れたら“こんなコトしよう、あんなコトしよう”と色々悪巧みを妄想したものである。体験価値は人から言われるのではなく、自分で妄想していたのである。CMで“家族と楽しく過ごせる車”など一方的な体験価値を押し付けた広告戦略は、それが受け手側の妄想を拒否しているようにも感じられる。魅力的な商品は、それを使う人それぞれが、様々な体験価値を妄想し得られる事である。



“Rollei 35 S”とその写真をみて、「モノもコトも」デザイナーにとって両方大切であると感じた次第である。

水面の柔らかい表情やコンクリートの固い表情をちゃんと表現できている

(tarokin)


サンパウロの誤算



グループ・インタビューを行う際、そこでは結論ありきの質問からの回答など、限定的な情報しか得られないことも多い。そのため、それらを補う情報を得るべく、被験者のなかからこれはという人を選び出し、個別にご自宅を訪問することがある。

ブラジル、サンパウロに調査に出かけたときの話。このときも同じように被験者のなかから一人を選び、声をかけた。彼はブラジルの男らしい見事な体躯の紳士で、建築士を職業としている。昨日、5000kmの砂漠をモーターサイクルで走破する旅から帰ってきたばかりという私的冒険家でもある。明日は昼から出勤するというので、出勤前の午前中にご自宅に伺う約束を取り付けた。

次の日、明るくなる前から車に乗り込み、ご自宅へ向かう。住所から察するに、都心部にある集合住宅にお住まいらしい。生憎の雨模様で見通しも悪く、通りは渋滞し、約束の時間に少し遅れて到着した。地下の駐車場から一階ロビーへ上がる。ロビーにはいくつもの店舗が入っており、どうやらショッピングエリアになっているようだ。少し寂れていて、かなり年期が入っているのが分かる。壁や床の勾配は小刻みに変化していて、奇妙な作りになっている。エレベーターで30階へ。この建物は38階建てらしい。部屋へ向かう通路は狭く、配管がむき出しになっている。ただ、良く手入れされているようで、不潔な感じはしない。呼び鈴を鳴らす。部屋の扉が開き、昨日会った温厚な髭面が出迎えてくれた。

インタビューが進むうち、我々の挙動に気がついた紳士が言った。

「建築に興味があるのかい?」

「ええ、ブラジルと言えば、ニーマイヤーを筆頭として建築も世界的に知られていますから」
「ここも不思議な建物ですよね」

「ここ、ニーマイヤーの設計だよ」

「・・・え?」

インタビューを終え、お礼を述べて部屋を後にし、ロビーから屋外へ。見上げた先にあったのは、いつか写真でみたニーマイヤー設計の集合住宅、Edifício Copan (1957) だった。ブラジルへ来たからには彼の設計した建築のひとつも見てみたいとは思っていたが、まさかこんなかたちで実現するとは。調査には事故や誤算が付きものだが、サンパウロでの誤算は、ニーマイヤーとの嬉しい出会いだった。(urikura)

F.S.エリス編『チョーサー著作集』1958年復刻版



ある美術館の展覧会に赴いた際のミュージアム・ショップでのこと。本書のなかの『薔薇物語』部分の一節、詩人が館の壁に施された「憎しみ」「邪悪」「粗暴」「悲しみ」「偽善」「貧困」などの像を眺めるシーン、その2ページ分を抜き取り、額装してある。ふと近づいた途端、背後から声をかけられた。

「これは『チョーサー著作集』を1958年に復刻したものです。ご興味がおありですか?」

いちいち解説をつけるのも憚られるほど、非常に名のある書物であるがゆえに、ここでは「国立国会図書館貴重書展」にある解題を借りることでそれに代えたい。

『本書はウィリアム・モリス(1834-96)が1891年にロンドン西郊のハマースミスに開設したケルムスコット・プレスの刊行書のひとつで、なかでも最高傑作といわれるものである。標題紙と飾り縁や装飾文字はモリスの考案によるもので、87点の挿し絵はエドワード・バーン=ジョーンズ(1833-98)が担当した。』

興味がない訳がない。グラフィック・デザインを志す者なら必ず知り置く書であるし、復刻版といえども愛書家の蒐集対象として名が通っているために高額で、私のような人間が触れる機会は美術館でガラス越しに眺める程度だ。思えば教授に見るべきものとして薦められ、最初に訪れたデザインを冠した展覧会はウィリアム・モリスの回顧展だった。当時はまだデザインを主題とした展覧会など、そう多くはなく、まして地方に住んでいれば、首都から遠く離れた辺境の美術館にそれらが巡回することなどさらに稀であったから。そこで見た本書の印象は今でも記憶に残っている。そういった意味ではデザインの原点に触れた最初の出来事が本書との出会いだった。いまでもこの回顧展の図録は大切に保管してある。

その後も女性店員との会話は弾む。

「これは原書をフォトグラヴュール(※)で複製したものです。レタープレスである原書の質を忠実に再現したような高額な復刻本ではありませんが、美術品としてはいわゆる古版画の部類に属します。」

それにしても、実にタイミング悪く声をかけられたものだ。数多いる観覧客のなかで、なぜ私に。これは神の思し召しか、悪魔の悪戯に違いない、などと心の中で悪態をつきつつ、薄い財布を取り出した。(urikura)


(※写真製版により図像を銅版の上に焼き付けて印刷する技法)

BABY BOOTLEGGER





インダストリアル・デザインを生業としていると、日用の機能からは離れられないわけだが、機能的なものが美しいとは限らない。日々、日用的なものに囲まれていると、無性に意味のないもの、ただ美しいものを愛でていたいという欲求に駆られることがある。

美しい艇を手に入れた。マホガニーと真鍮、皮革など、あらゆる部分が本物の素材で仕上げられた船舶模型のことだ。

BABY BOOTLEGGERは、1924年ゴールド・カップの優勝艇であり、モノフォルムの美しい艇である。APBA ゴールド・カップとはデトロイトで行われる水上レースのことで、1904年から現在まで110年間つづく、あらゆるモーター・スポーツ・レースにおいて最古、かつ最長の歴史を持っている。

当時の艇は水上滑走艇といえどまだ木製が主流で、今の船艇のように樹脂製ではない。そのため造形に物的制約がある反面、つくり出された曲線や曲面は無理なく流麗で、ニス仕上げの艶も相まってクラシックな高級家具のように美しい。私の知るかぎり、世界で最も美しい動く造形物である。

本物は今でも約1億1000万円ほどあれば建造することが可能らしい。木造艇なので、維持するにはさらに費用が必要だけれども。しかし、いずれは、と大それたことを考えるささやかな時間くらい許されても良いのではなかろうか。(urikura)