
3月25日に発売される予定で東日本大震災により延期されたApple社の“iPad2” を、米国出張に行った会社の同期に買ってきてもらった。米国では発売して半月以上が経つが、いまだ人気で入手困難とのこと。アトランタのAppleストア2店まわったが手に入れることが出来ず、結局オフィス近くの家電屋で何とか入手することが出来た。業務で忙しい中、時間を割いて対応してくれたことに頭が下が る思いである。手に入れたのは、Wi-Fi 32GB ブラック。ホワイトを第1プライオリティにしていたが、ブラックでも全く問題ない。もし、ホワイトを手に入れていたら“青いお風呂の蓋”も買う予定だった。もちろん、壁紙はバスロマンの藤原紀香。
さて、iPadを手に入れた目的は正直何もない。無目的である。ナッシング。モノを買うときはだいたい何か目的があるはずだ。目的無くしてモノを買うなんて言うのは無駄遣いで あり、本来あってはならないことだ。特に今回は海外で買ったので、内需に貢献もしていない。
先日、テレビを買った。地デジ化という国策により今でも問題なく使えるSONY製ブラウン管のテレビを残念ながら手放す事になったが、どちらにせよテレビの購入 には明確な目的がある。“テレビ放送を観る”という分かり易い目的だ。最近のテレビは、インターネットや、オンラインレンタルビデオ機能など盛りだく さんだが、“テレビ放送を観る”ことが主目的であることに変わりはない。
一方、この“iPad”は何だろう? iPhone4を日々愛用している身からすると、中身は殆ど同じで単に画面が大きくなっただけである。ただ、 “iPhone”には“電話”という重要な機能が軸になっている。これはでかい。人に説明するときも、「これは携帯電話です」と、いとも簡単に説明できる からだ。ところが、実際にはその携帯電話という主機能は殆ど使っていない。Twitterやメール、インターネット、音楽鑑賞など携帯電話以外の機能を満喫している。それでも、“携帯電 話”という主要機能があるおかげで、そのプロダクトの正統性を証明し存在価値を明確にしている。皇室のある日本みたいなものだ。
洗剤にも、服にも、車にも明確な主要機能がありそれが購入動機の主たるものとなるのが普通である。その中でiPadの主要機能は何かと言われて答えられる人はいない。昨年、初代iPadを発売したとき日本のメディアは電子書籍端末として紹介していた。Apple社もiBooksアプリとiBookストアというインフラを整えて発表したので、メディアがそのように捉えられてしまうことはしょうがない。だが、実態としてはそれは多くある機能の中の1つに過ぎない。iPhoneと同じようにTwitterやメール、インターネット、音楽や映画鑑賞ができる。画面が大きくなって通話機能が無いという違いだけである。
しかも、ネットブック並みに画面が大きくなったからと言って、Adobe IllustraterやPhotoshopが使え、CAD系ソフト、Microsoft Officeが使えるというMacやPCみたいに何でもこなすような代物でもない。それらの機能を限定したアプリはあるが、けして仕事で使えるレベルではない。つまり、非常に摑み所のないプロダクト製品である。(もっともネットブックも大した性能を発揮しないが)
iPadは、主要機能が定義されていないので1枚の紙のように柔軟性がある。文章を書くことも、絵を描くことも、折り紙で箱を作ることも出来るように。元来、日本の“モノ”のはそのような柔軟性があったように思える。例えば風呂敷や和紙などはその代表例で、使用目的に合わせて七変化をする。モノだけではない。日本の家屋もそうだ。和室の柔軟性は説明するまでもない。最近の日本の商品は、多機能だが一つ一つの機能が縦割りで上手く連携せず柔軟性に乏しいことが多々見受けられる。これでは多機能の良さを充分に発揮できない。ある意味、日本が持っていたモノに宿る精神性を失ったのではないだろうか。
画面が大きいというiPhoneに対する唯一アドバンスしたスペックが、その柔軟性を発揮するための最も重要なスペックあると言える。この画面の大きさこそが、私に何か面白いことが出来るかも知れないという“ロマン”と日本が持っていたモノに宿る精神性を感じさせてくれたのだ。
そんなことで、目的もなく“ロマン”を感じて無駄遣いするのも良いだろう。
さて、バスロマンを入れて、風呂でiPadを楽しむか。(tarokin)