動態であるということ:Flensted mobiles "Black Rhythm"


私のお気に入りのアイテムとして Flensted mobiles 社の Black Rhythm というモビールがある。創業者がデザインしたもので、もう50年以上変わらず販売されているという。欧米にてモビールはモダンな室内装飾としてごく一般的なアイテムなのだが、日本では住宅事情が影響してか保育所などで可愛らしいものを見かける程度で、一般家庭で使用されているのに出会うことは少ない。


Black Rhythm の特徴的なところは単線的な構造にある。普通モビールと言えば、複線的な構造でいわゆる「やじろべえ」的にバランスをとっていくものを想像するが、Black Rhythm の場合、黒い羽のような形状が連続的に並び、直列にバランスしながら変化していく。10年ほど前、この美しさを某店で見かけて一目惚れ。衝動買いで購入して以来、ずっと我が家の一角を飾っている。


そしてこの Black Rhythm を眺めながらいつも思うのだ。「動態」とは何か。

つまり静のなかの動的なもの。動的なものに現れる静的な美しさ、ということを。


流麗なかたち、鋭利なサーフェイス、コントラストのついたマスボリュームなど、トランスポーテーションをデザインするときにはこのようなデザイン言語をよく使用する。これらはそのもの単体で完結するかたちではない。ある連続性のなかで次に繋がっていくことを示唆することで動的なものを表現している。だとすれば、「移動」とは「永遠につづく連関のなかの一場面を美しく切り取ること」と言えなくもない。トランスポーテーションをデザインする者は中身との関連を機能的な側面から捉えるが、外身との関連をもある連続性のなかでインタラクティブに捉えているはず。でなければ止まっているスポーツカーをなぜ美しいと感じることができるのか。動態であるということはもっと言語で記述できるはずなのだ。


などととりとめのないことを考える。(urikura)